親友の死

12月2日、親友であり、人として尊敬し憧れていた女性が亡くなった。84才だった。私と同様に都会と八ヶ岳を行き来する生活をしていた彼女とは、約8年前に八ヶ岳で出会い、急速に親しくなった。私が離婚した年に彼女はたったひとりの息子さんを亡くしている。以来、八ヶ岳にいる間は、夕方犬たちと共に彼女の家を訪ね、散歩をし、時々食事をごちそうになり、ドライブがてら買い物に行き、仕事のこと家族のことなど、いろんなことを語り合ったものだ。年齢の壁をまったく感じさせない方だった。
 
去年、今年、と続けて私が愛犬を亡くしたとき、彼女と二人で八ヶ岳の庭に愛犬のためのお墓を掘った。昔の八ヶ岳噴火の名残で、噴火の際に飛んできた岩石だらけの土地を掘るのは、いくつか大きな持病のある80代の彼女にはきつい作業だったはずなのに、去年も今年も、どうしても一緒に掘りたい、と手を休めずに手伝ってくれた。彼女のおかげで、私の心はどれだけ救われたか知れない。私を養女にしたいと言ってくれるほど、実の娘のように接してくれていた。
いつも、お独りで広い庭の手入れをし、山野草を育て、毎日の生活を丁寧に過ごしていた彼女のライフスタイルは、自然と私の目標になっていった。
 
彼女には命に関わる持病があったので、私が東京に戻るときには、八ヶ岳で毎回お別れの儀式のようにハグをした。今年の春頃から、「もう会えないかもしれない」と切実に感じはじめていたので、私は彼女とハグをする度に泣いてしまっていた。そして一ヶ月前のハグが、最期になった。
 
彼女が亡くなった日に、私は不思議な経験をしている。その日、夜のセラピーを終えてプライベートスペースに戻ると、部屋は宙に浮いているような不思議な雰囲気に変わっていて、いきなり時間が逆戻りしたような錯覚を覚えた。亡くなったはずの二匹の犬たちがそこにいて、ほかに何かがいるような気配があり、それまで感じたことのないほど、非常に幸せな気持ちがこみ上げてきたのである。この幸福感は一体何なのだろう、この満ち溢れる優しい気分はどこからやってくるのだろう、とぼんやり思ったまま、その夜は幸せな眠りについた。
 
翌朝、電話で彼女の死を知らされたのである。電話を切った直後、昨夜彼女が私に会いにきてくれていたことにやっと気づいたのだ。すると、
「ようやく気づいてくれたのね」と笑う彼女の声が響いた。背後の斜め上方からはっきり聞こえた。満面の笑顔で、いつも死者の方はそうなのだが、彼女もかなり若返っていた。そのとき私ははじめて40~50代の彼女の顔を見たので、おお~っ、若い~と感動した。見る、といっても、私の場合は眼の裏に映像が映る。脳にカメラがついている感じだ。声も若返って張りがあり、生きているときと同じように、彼女はいろんなことを映像を送りながら話してくれた。私の犬たちと一緒にいる映像、もう息子さんにも会った事、あちらの世界の映像・・・。
 
「あなたとは、こうして話せると思っていたわ」と笑い、そして、「こちらは天国でございます」と洒落た。
何分にも渡って、彼女と話をした。とても幸せそうな笑顔だった。
傍から見たら、宙に向かってしゃべって笑ったりしていたのだから、滑稽かもしれない。
 「今晩、また催眠で会いにいってもいい?」と聞くと、
「もう会っているじゃないの」と笑われてしまった。
 
彼女は彼女自身が思い描いた通りの亡くなり方で逝き、そして、文字通り、「天国」にいる。やはり、私には永遠に憧れの女性だ。
浜ちゃん、貴女の門出を祝福します。息子さんに会えて、良かったね。二匹のことをよろしくね。私が逝ったら、またご飯作ってね。嫌かな?(笑)