お彼岸と東電からの賠償金お知らせについて

東日本大震災から一年が過ぎ、またお彼岸が巡ってきました。亡くなられた方々に、心から合掌いたします。
3.11は、あちらこちらで慰霊の行事等が催されていました。
中には、ただのお祭りイベントになっているものも結構あったので、それを知ると、「なんだかなあ」と、複雑な気持ちでしたね。絆ということばも、スローガンみたいに高々と掲げられると、絆とはほど遠い差別的状況も見聞きしているだけに、なんだか白々しく感じますし・・・。
一年という時間は、大切な人たちや動物たちや家等を亡くした人にとって、心の整理をするには短すぎる時間です。苦しい気持ちを置き去りにしたまま未来へ進むなんて、厳しいことだと思います。心にふたをするようにして置き去りにした感情ほど、その人の人生を左右する負のエネルギーになり得るものだからです。
震災後、年賀状のやりとりは続いているものの、30年間くらい会っていなかった高校時代や中学時代の福島の友人たちに会う機会を作っています。何十年も会っていなくても、話もしていなくても、本音で話してくれるのは、共に学生時代を福島で過ごした時間があるおかげです。
私は去年の3.11の地震発生の時には、長野県内のスーパーで買い出し中でした。そこでは、ほとんど地震の揺れを感じませんでした。あちらこちらに寄りながらたくさん買い物をして家に戻ってきて、福島の実家と東京の友人から届いたメールに異常さを覚え、テレビをつけてはじめて、震災があったことを知りました。
3月10日に長野(八ヶ岳)での予定を入れていたため、それまで滞在していた福島の実家から長野へと戻ってきたばかりだったのです。あの予定を入れていなければ、私は家族と共に福島にいたはずです。
買い出しをしてきたので、それから一カ月は、どこにも買い物にいかずに過ごせました。あの頃は、長野県内ですらも、ガソリンも食料品も何もかも、なくなっていたのです。
何十年ぶりに話をした友人たちのみならず、周りの状況を見回してみると、日にちが経つにつれて、福島県民はほかの被災地とは異なる苦しみを何重も抱えるようになっています。
先日、郡山市内にある仮設住宅へお伺いする機会がありました。そこで暮らす方々も、お世話をするスタッフの方々も、ずっと重く苦しいものがどっしりと胸につかえたままであることを自覚しながらも、それをどうやって吐き出せばよいのか、どんなふうに気持ちを整理すればよいのかわからないままです。
福島で生きることを決めた方々も、避難することを決めた方々も、福島県民にしかわからない苦しみを抱えています。
線量が高いのになぜいるのかと問われても、親の面倒や仕事の関係や経済的なことから、避難したくても避難できない方が大勢います。故郷のために何かをしたいから、あえて福島で生きることを選ぶ人もいます。若い人の中には、「自分は命が短くてもいい。福島に残って福島の人の役に立ちたい」という意志を持っている人もいます。一方、避難したことで、後ろめたさを負う人もいるのです。
子供たちは将来結婚できるのか。差別されるのではないか。そんな心配も親御さんは持っています。こうした様々な問題は、心の問題、生き方の問題、価値観や経済的問題と複雑に絡み合っているため、また折を見て、書こうと思います。
さて、以下の写真は、実家に届いた東電からの賠償金の案内パンフです。私は長野県在住なので部外者です。
どうしてこれを載せたかというと、一言でいうと、このパンフがとても不親切だから。
自主的避難をした人でなければ、賠償金は支払ってもらえないと勘違いしたお年寄りが、かなりいらっしゃると聞きました。
賠償対象が自主的避難対象区域に住居があった方、と図で示されているものの、そもそも自分の住んでいるところがそんな呼び方でくくられていたのを知っていた方は、あんまりいないのではないでしょうか。また、「賠償対象となる損害」の項目は、まるで自主的避難をした人だけに対して書いているようですし、避難せずにいた人に対しては、賠償はこんなにも条件つきです、といっている感じです。
避難していないし放射能によるストレス等で医者にもかかっていないから、自分は対象じゃないと勘違いして書類を捨ててしまった人もいると聞いています。
支払いたくないからこんなにわかりにくい書き方をするのではないかと言われても仕方ないですよ。
わかりやすく書くべきだと思います。
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