「無言館」戦没画学生の絵に思う

昨日、八ヶ岳高原音楽堂で、上田にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館主、窪島誠一郎氏の緑陰トークがありました。
「無言館」は、生きたい、絵が描きたいと願いながら、戦争に召集され20代~30代で命を落とした画学生の絵と遺品が展示されている美術館です。ご存知の方も多いと思います。私は行きたいと思いながらまだ行けずにいます。ですから、窪島さんが見えると知って、どんなお話が聞けるのか心待ちにしていました。
印象的だったことがふたつありました。ひとつは、ひとりの人との出会いが人生を決める、と何度かおっしゃっていたこと。窪島さんは、22歳で夭折した天才画家、村山槐多(むらやま かいた)氏の画集との出会いがなければ、無言館を開くことはなかったと回想されていました。村山槐多、という画家のことは私は昨日まで知りませんでしたが、わずか10代で美術のそうそうたる賞を総なめした天才です。素人の私でも、彼の絵をはじめて見て、その迫ってくる力に圧倒されました。槐多から影響を受けた画家は少なくないそうです。
もうひとつは、「無言館」に展示されている日高安典さん(享年27歳 フィリピンのルソン島にて戦死)の絵、裸婦のモデルになった恋人が、戦後70年近くを経てはじめて無言館に足を運び、当時の自分の絵と対面されたときのこと。窪島さんは、その方が自ら綴った文章を読み上げてくださいました。
もう82歳のおばあちゃんになっていて、それでも、絵のモデルになった日のことを昨日のことのように鮮明に覚えているそうです。鹿児島が郷里のその方は、当時両親が決めたいいなずけがいたそうですが、結局独身を通し、日高さんを思い続けた人生だったことがわかりました。出征していった恋人を一生思い続けたそのお気持ちを察すると、胸が苦しく切なくなります。それでも、そんな風に一生涯愛せるひとに出会えたのは、すばらしいとも思うのです。
日高安典さんが出征ぎりぎりまで描いていたという恋人の裸身像。そして、彼が家族に遺した最後のことばは、「あと5分、あと10分この絵を描かせてほしい。」
(右の絵が、「裸婦」)
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ひとりの人との出会いが一生を決める・・・・・・本当にそうですよね。
戦没画学生たちの命は、召集令状を受け取ってからわずか数か月~数年というタイムリミットが引かれていました。絵を見ると、彼らがどんなにひたむきに絵に打ち込み、魂を投影していたのかが伝わってきます。
そして私は、自分が恥ずかしくなるのです。自分は彼らとひき比べて、懸命にちゃんと生きているといえるのだろうか、と。好きなことができること、好きな人に会えるということが、どれだけ幸せなことだろうかと自戒するのです。
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